どうしてこんな事になったのだ。
 息子に任せていた公爵邸と領地は、あの事件の後、日に日に荒れていった。
 元々、怠惰なところのあった息子だが、あれが公爵として後を継いでからは、エルメトリの領地は見違えるほど豊かになった。
 やっと自分の役割を自覚して、立派な領主になってくれたと、喜んでいたというのに。

 蓋を開けたら、実際に領地を管理していたのは、半ば強制的に連れてこられた守り人の青年で。
 彼の手腕があったからこそ、領地内では大きな問題も起きず、精霊たちの恩恵をも受けて、領地が潤っていただけの事で。
 そんな彼に、あの愚息は感謝どころか何一つ還元すらせずに、自分は愛人と遊び惚けて、仕事も責任も放り投げて。
 その結果、こんな取り返しの付かない事態を引き起こして。

 こんな事になるのなら、早々に隠居などせず、傍で監視するべきだった。
 「妻と息子は我儘でヒステリック、散財するから困る。親戚付き合いにも社交にも、面倒がって出たがらない」という、愚かな息子の言葉を鵜呑みにせず、無理やりにでも彼ら親子に会いに行くべきだった。
 そうしていたならば、こうなる前に多くの事が解決できただろう。
 馬鹿息子を再教育する事も、守り人の青年……シャルム殿に謝罪と感謝をし、今までの事を詫びる事もできたのだ。

 あの事件の後、ラドキアは混乱状態になった。
 平然とあのような愚行を行う者を王家から出した事に加え、騎士団長一家と部下も総じて非人道的で無能揃い。
 さらには、地位でも歴史でも王家と肩を並べる我が公爵家の主が、長きに渡り守り人たちを虐げていたのだ。
 当然、我々の評判も信頼関係も地に落ちた……いや、地中深く沈んでいったと言っても過言ではないな。

 ラドキアの国民の多く、特にエルメトリ領の領民たちが、シャルム殿に頭を下げて戻ってきてもらえと訴えるのだ。
 事件の直後、エルメトリ領に居た精霊たちのほとんどが、姿を消した。
 その影響で、不作知らずと謳われた領地は過去の栄光となり、今年の収穫でさえ怪しくなりだしているのだ。
 仮に今、シャルム殿がここに居てくれたら……彼は守り人でなかったとしても、不作や凶作に対処できるだけの経営技術を持っている。
 彼が今まで続けてくれていた仕事を確認したが、子どもの頃から領主として教育をしていた愚息はなんだったのか、と思えるほど優秀だったのだ。
 しかし、我々がいくら望もうとも、騙されて連れて来られた彼が自由になった今、この地を訪れる事は二度と無いだろう。

 私がこの執務室を使う事は、もうないだろう……そう思って公爵邸を出た日が懐かしい。
 まさか再びこの執務室で、今まで以上に難題となった仕事の山を片付けねばならない日がくるなど、予想すらしていなかった。
 すっかり暗くなった窓の外を横目に、ため息交じりで書類を捌く。

「あれー? うわさの贅肉公爵じゃないー」
「!?」

 突然どこかから、間延びした声が聞こえる。
 辺りを見回したが、声の主らしき者はどこにも見当たらない。

「なんだー、せっかく闇々スーパーブレイクパンチをお見舞いしてやろうと思ったのにー」

 謎の単語と物騒な言葉を放ちつつ、部屋の奥の陰からぬるりと現れたのは、真っ黒な布を被ったような姿の……おそらく、闇の精霊だ。

「あー、贅肉公爵の親の方かー。あんたが子育て大失敗したせいで、シャルムとシエルが大変だったんだからねー」
「……君は? ここに居た守り人たちの事を知っているのか?」
「はー? 当たり前じゃん。シエルはこの国で生まれたからこれからだけど、シャルムは守り人の村で生まれてるんだから、精霊全員と会ってるよ。みんな、シャルムとシエルを虐めた奴らがいるって、怒ってるんだから」
「それは……その、申し訳ない。事実を確認せずに愚息を放置していた、私の責任も重いな……」
「……まあ、シャルムが出ていく時に、精霊に手を出させなかったって聞いたし。サウドみたいにならなくてよかったじゃん。感謝しなよ」

 さらりと恐ろしい事を言われて、肝が冷えた。
 あのサウドの惨劇が、ラドキアでも起こる……しかも、原因を作ったのが王家と公爵家と騎士団という、不名誉極まりない状況でだ。
 一般人ですら守り人を奴隷として虐げて迫害し、今では惨劇は自業自得という意見も少なくないサウドとは違い、何の非もない、完全に無関係の国民達まで巻き込んでのラドキアでの大惨事。
 そんな事になったら、不名誉だけでは済まない。国民の怒り、憎しみ、悲しみ、他国からの批判、侮蔑……どれをとっても、サウドの比にはならないだろう。
 しかし、シャルム殿は家族と共に、不本意なまま長年この地に縛られ続けてきた……積もり積もった恨み辛みを晴らす為に、精霊たちに助力してもらう事も出来たはずだ。

「……何故、我々は救われたのだろうか……」
「シャルムは自分たちが、拷問も殺されたりもしてないからって言ってたけど……本当はアレ、シエルたちに背負わせたくなかったんだろうなー」
「……?」
「フツーに考えて、自分たちのせいで国が滅ぶレベルで人が死んだとか、寝覚め悪いレベルじゃ済まないでしょ。しかも守り人大虐殺のサウドの時と違って、一部の守り人が一部の人間にやらかされたってだけで。それにシャルムは自分で何とかするために動いてたから、僕たちは必要以上には手を出さなかった。僕たち精霊としては、シャルムかシエルがラドキアを消してほしいと望んだら、すぐに大樹様に許可を貰って、そうするつもりだったよ。でも、シャルムはそこまでしなくていいって言った」
「……」
「もともと、守り人は穏やかな性格の子が多いよ。だから無駄な争いは望まないし、火種になりそうなことも避ける。シャルムはちょっと好奇心旺盛でヤンチャっ子だから、冒険者も楽しくやってたみたいだけど、だからと言って戦争や滅国みたいな事は望まないよ。そのきっかけが自分たちの出立になるわけだから、そんな事を自分の家族に背負わせるなんて、論外だろうね」

 闇の精霊に言われて、改めて気付かされる。
 確かに今、ラドキアは混乱状態にあるが、ほとんどが元々居た王家や貴族、騎士団の不正や隠蔽、職権乱用に判断ミス……完全に、身から出た錆だ。
 むしろ守り人たちは、あれだけの事をされたというのに、「その程度」で済ませてくれた。

「それに勘違いしてるみたいだけど、この国に精霊の恩恵が無いのも、完全にあんたらのせいだからねー」
「……それは、何故」
「たしかに僕らの最優先は、大樹様と守り人たちだよ。でも、いろんな国に精霊がいるのは、世界のバランスを崩さない為。だからといって、別に人間に良くしてやる必要はない。エルカイムに精霊の恩恵が残ってるのは、エルシオが愛された国だからってだけじゃないよ。あの国の人達は、今でも精霊たちに感謝して、お祭りをしたり贈り物をしたりしてくれる。だから人間社会のバランスを崩さない程度に、僕たちもお返しをするってわけ。それは他の国でも同じで、僕たちに感謝して何かしてくれるから、僕たちもそのようにお返しをする。この国は僕たちに何かした? 僕たちの事を無視し続けるなら、僕たちだって何かしてやる義理はないよ」
「では、近年のエルメトリ領の事は、やはり」
「シャルムとシエルが居たから。あの子たちに変な事で苦労させたくなかったから、みんな手伝ってただけ。二人が居なくなったから、みんなも無駄な事は止めたの」

 無駄な事……確かに精霊たちからすれば、無償で恩恵をよこせなどと言われたら、不快そのものでしかないだろう。
 近年のエルメトリ領が豊かだったのは、愚息が悪い頭で考えた奇行に巻き込まれたのが守り人だった、という偶然でしかない。
 本来なら、守り人にも精霊たちにも頼らず……頼るのであれば、相応の対価を差し出すなどして、自分たちでどうにか解決しなければならない事なのだ。

「ま、贅肉公爵がいないなら、僕はもう行くよー。普段はこんなに教えてあげないよ、今回限りのサービスだからねー」
「待ってくれ、何故……私にそれを話してくれたんだ?」
「あんた、子育てはド下手くそだけど、領主としては優秀な方でしょ。なら、ヒントくらいはあげたから、後は自分たちで何とかしてみなよ。……あ、勘違いしないでよ。この勢いのままラドキアが百年以内に滅んだら、絶対シャルムとシエルたちは、気にするから。散々迷惑かけてさっさと滅ぶくらいなら、せいぜい足掻いて二百年以上経った後に、のんびり衰退していってよね」

 捨て台詞のようにそう言って、闇の精霊は部屋の陰から姿を消した。
 状況が悪い事に変わりはないが、決して最悪ではない、それがせめてもの救いだ。
 私は窓の向こうを見つめながら一息ついた後、再び机に向き直った。
 あの闇の精霊の言葉に含まれた、怒りと呆れと悪態と……そして、少しの激励のようなものを感じたまま。

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