今回の宿は、エルカイムで泊まっていた時と同じタイプの、キッチンやお風呂が完備されているところだ。
 違うのは、さっきのような面倒事に巻き込まれないようにする為、という理由だろうか。
 セランに入ってからの一連の出来事に、ドッと疲れた僕たちは早々にチェックインにして、お茶を淹れて一息つく。
 エルカイムで買っておいたカヌレの美味しさが、僕たちの疲れを少し癒してくれた。

「……ふぅ。やっと落ち着いたって感じだね」
「ああ。シャルムさんが、さっさと行った方がいいって言ってた理由がよく分かったぜ」

 げんなりしつつもどこか怒り気味のヴァニスは、少し吐き捨てるような感じでそう言った。

「あらあら、ヴァニスちゃんったら、ご機嫌斜めね」
「そりゃそうですよ、俺のシエルを二十六番目の妻にするとか、みすぼらしいとか、ふざけたこと言いやがって! あと百万回くらい投げ飛ばしても足りないくらいっすよ」
「でも秘剣は使わなかったねー、えらいえらい」

 怒りが収まらない様子のヴァニスだが、メルにポンポンと頭を撫でられて、少し落ち着きをみせた。
 もしヴァニスが怒りに任せて秘剣を使っていたら、今以上の大惨事になっていただろうな。
 さすがにそこは理性で抑えていたみたいだけど、それでも腹の虫が収まるわけではないのだろう。
 ……でも、ヴァニスは僕の事を悪く言われたのを、怒ってくれるんだよな。
 ヴァニスだって、あの迷惑王子に愛人扱いされてたのに……ああ、思い出しただけでイラっとする。

「はいはい、シエルもいい子だから、可愛い顔を台無しにしないの」

 どうやら僕も、イライラが顔に出てしまったようだ。
 さっきのヴァニスの時と同じように、メルがポンポンと僕の頭を撫でてくれる。
 フニフニの前足ついでに、モフモフの毛並みがふんわり顔に触れるのが気持ちいい。

「……あ、そういえば柴瑛君は、エルカイムに来る前に一度この国を通ってるよね? その時は大丈夫だったの?」

 メルのモフモフに癒された僕は、迷惑王子に二十七番目の妻にしてやる、なんて失礼な事を言われていた柴瑛君の事を思い出す。
 それに今回も、柴瑛君自身の小柄な体格と可愛らしい顔立ちが災いしてしまったのか、けっこうな人数に言い寄られていたし……これじゃあ前回も、大変だったんじゃないだろうか。

「その時は一人でしたし、素性を知られたくもありませんでしたので……雲隠れの術を使って、できるだけ人と会わないようにして通過しました」
「あら、それは英断だったわ。この国に来る度に迷惑連中に何度も絡まれるなんて、不快極まりないものね」

 そうだ、柴瑛君はそういう術が使えるんだった。
 もし普通に通過して、絡まれついでに半精霊である事がバレてしまったら、もっと大変な事になっていただろう。

「でも、東の国のヒノカから西の国のエルカイムまでなんて、大変な道のりだったでしょ?」
「はい……本当は、守り人の村の方がずっと近かったのですが、追われているうちに西へと遠ざかってしまったのです」
「あー、魔法使いってそういうとこ厄介なんだよなー」

 少ししょんぼり気味に話す柴瑛君の言葉に、カヌレを頬張っていたメルが反応する。

「厄介って?」
「ほら、精霊の力を直接的に感じられるのは、守り人か魔法使いくらいでしょ? でも精霊の気配がするのに、近くに精霊が見当たらないってなると、気配の元になってる人が半精霊だって特定されちゃう。悪い魔法使いだったら、そのまま捕まえてアレやコレや、ってなっちゃうからねー」

 メルの言うとおり、半精霊たちは様々な迫害を受けてきた。
 柴瑛君の場合は、たまたま攻撃力の強い精霊が親だった事と、忍の訓練を受けていたから、こうして逃げ延びることが出来たのだろう。

「ま、村に着くまでの人目のある場所では、ボクの抱っこ係に任命してあげよう」
「ありがとうございます」

 そうか、この先の町で魔法使いが柴瑛君の魔力を精霊のものとして感じても、メルを抱っこしていれば、感じた魔力は精霊であるメルのものだと思うはず。
 それならよっぽどの事がない限り、半精霊という事はバレないだろう。
 精霊たちが気の合った人と一緒に行動している事は珍しくないし、柴瑛君がメルを抱っこして町を歩いても、悪目立ちするというほどの事態にはならない。
 今まで僕たちと一緒に旅をしてきた時は、きっと運よく悪い魔法使いに遭遇しなかったのだろう。

「……メル、人目のない所では、ちゃんと自分で歩くんだよ?」
「えー? シャルムは抱っこしてくれないのー?」
「してあげたら、メルの体積が倍増しそうだからね」
「……むぅ」

 さらりと父様に釘を刺されて、メルは少し頬を膨らませた。
 ……メルは、柴瑛君の安全の為という気持ちもあるけど、そのついでに自分も楽をしようとしてたのかもしれないな。

「あら、それじゃあメルちゃんが倍増しないように、アタシが走り込みで追いかけてあげるわよ?」
「それとも、俺が転がしてやろうか?」
「どっちもヤダ! ボクの素敵な毛並みが台無しになるじゃん!!」

 少し意地悪そうに言うディディさんとヴァニスに、メルは全力で抗議している。
 メルにとっては減量する事より、毛並みを守る方が大事なんだろうな。

「もー、ただでさえファータのせいで疲れてるのに、やめてよね」
「えっ? なんでファータが関係あるの?」
「加減を知らないあいつが、オタロタの近くでうろついてるって事は、隣国でもあるセランにも影響が出てると思うよ。この国のナンパ野郎たちが、自分好みの相手と出会いやすくなるっていう幸運なんだろうけど」
「ええ……それだと旅の人達は迷惑だよね?」
「幸運って良いように聞こえても、良し悪しって事だよ」

 そう言って、メルはふうぅと大きなため息をつき、カヌレの残りを食べ始めた。
 良し悪しか……確かに、住んでる人たちにとっては幸運かもしれないけど、旅人からしたら厄介事でしかないもんな。
 ラッキーな事は起これば嬉しいけど、内容によっては他の人の迷惑になるわけだし……うん、やっぱり普通が一番かもしれない。

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