《イグニ視点》
「……イグニ様、おはようございます」
今朝、食堂で顔を合わせたカナデは、どことなく元気が無い。
いつもは無邪気で愛らしい笑顔の挨拶をしてくれるのだが、今日は無理をして笑っているように見えた。
それに、声色も普段の弾むような愛らしい声ではない……どこか疲れているような感じで、若干トーンが低い。
普段より伏し目がちな瞳は、輝きが薄れているようだ。
「カナデ、おはよう……どうしたんだ? 具合が悪いように見えるのだが」
「あ、えと……たいした事はないんです。ちょっと寝不足で……」
「寝不足……何か悩み事があるのだろうか? もしそうなら、話してほしい」
「悩み事、と言えばそうかもしれません。……でも、急ぎというわけではないんです。なので……お昼の後のお茶の時に、聞いてもらってもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
カナデは少し遠慮気味に、力なく笑いながらそう言ったが……俺としては、やはり心配だし気になってしまうものだ。
いつもよりスローペースで朝食を食べるカナデを見守り終えた後、今日の分の仕事をさっさと片付ける。
しかし、頭の中はカナデの事でいっぱいだった。
悩み事があって寝不足だと言っていたな……一体何を悩んでいるのだろうか。
俺に聞いてもらいたいと言っていたし、対人関係、あるいは火竜宮の施設関係の可能性が高いな。
もしや、新しい設備や食事のメニューを増やしてほしいとか……いや、それにしては、カナデのテンションが低い気がする。
それならば、誰かに悪く言われたり、嫌がらせを受けたのでは!? なんだそいつは、けしからん、消し炭にしてやる!!
……いや、それも無いな。そんな事があったらアルバから報告が来ているはずだし、何よりアルバが傍に居て、そんな愚行を許すとは思えない。
となると……もしや、お義父上の事だろうか? ひょっとしたら、喧嘩でもしてしまったのでは……それも違うな。
そうならアルバやロージェンが俺に伝えるだろうし、ここ最近のお義父上の様子も、特別変わったような事はなかった。
兄弟や番たちとは、あの肝試しの日以降は会っていないし、ここ最近は図書館にも行っていないようだから、ノルスも違う。
あとは、部下の火竜たちだが……カナデに救われて永遠の忠誠まで誓った、アルバとロドが何かしたとは思えない。
フラムやロージェンを始めとする部下たちも、カナデの事を微笑ましく見守っているし、そもそも火竜の王の俺の番であるあの子を害する理由が、部下たちには無い。
他に考えられるのは……まさかとは思うが、俺が何かしてしまったのだろうか!?
カナデが悩み始めたのは、まだ最近の事だ……特に心当たりがあるわけではないのだが、俺がカナデに、やってほしくないような事をしてしまった可能性もある。
もしや、カナデの手が愛らしくて、いつまでも触っていた事が鬱陶しかったのだろうか!?
あるいは、ちまちまと食事をする様子が微笑ましくて、ずっと見つめ続けていたのが不快だったのかもしれない!!
それとも、肝試しの時に手を握りすぎたり、思わず抱き寄せてしまった事が気持ち悪かったのでは!?
カナデ本人はその事について、俺に何か言ったりはしなかったが……内心では、嫌がっていた可能性もあるのだ……。
もちろん、まだそうだと決まったわけではないのだが……もし俺の落ち度であるのならば、きちんと謝罪して、これからの行動も改めなければならない。
そう思いながら仕事と昼食を終わらせ、いつもの談話室でカナデの話を聞く事にする。
アルバとロドに聞かれても大丈夫だと言っていたので、二人はいつもどおりに茶や菓子の準備をし、俺たちの前の机に置いた。
林檎の香りの湯気がふわりと舞った後に、カナデが少し言いにくそうな様子で話を始める。
「あの……この前の肝試しの日に、師匠の部屋で寝た時、聞いたんですが……師匠がロージェンに、番とは人族で言うと、どのような関係になるのかを尋ねたそうなんです」
ふむ、カナデ同様に人族であるお義父上にも、番の感覚が分かり辛いというのがあったのだろう。
それをご自身の番であるロージェンに、直接尋ねたというわけか。
「ロージェンはなんと言ったのか、聞いているかい?」
「はい。その……「おしどり夫婦で、夜も毎日繋がりたいもの」だと……」
「…………ロージェン…………」
間違ってはいない。
間違いではないのだが、なんと言うか、素直すぎるというか欲望丸出しというか、ストレートすぎるというか。
ロージェンの気持ちには激しく同意は出来るが、もう少しオブラートに包もうとは思わなかったのか。
……いや、そういえば、ロージェンはお義父上の前では、言動も行動も挙動不審気味になりまくっていた……その影響で、とんでもない事を言った可能性はあるな。
「それで……えっと、俺はイグニ様の番なんですよね? だから、いずれ俺も……そ、そういう事をするって事なんですよね?」
恥ずかしそうに俯き加減になって、ほんのり顔を赤らめながら、カナデはそう言ったが……可愛すぎてどうにかなってしまいそうだ!!
いや、落ち着け俺。戻ってこい理性、とりあえず隠れておけ上がり気味のテンション。
カナデは真面目に悩んでいるのだ、俺も浮かれていないで、誠実に向き合わねば。
「カナデは、俺とそういった事をするのは……嫌かい?」
「嫌、というよりは……不安な気持ちの方が大きいです。……俺、今までそういう事をした経験が無いから……痛そうとか怖そう、って気持ちもありますし、もしかしたら、反射的にイグニ様を拒んでしまうかもしれません。……それに、ちゃんとできる自信も無いですし……イグニ様をがっかりさせてしまうかもって思って……。だから、どうしたらいいのかって考えてたら、眠れなくなっちゃったんです」
……なんだ。なんだ、このいじらしくも愛おしい存在は!!
確かにカナデにとっては、心身ともに不安だろうし、初めての経験という状況からくる怖さもあるだろう。
だが俺としては、自分の事だけでなく俺の事にまで気にかけてくれていただなんて、嬉しさ大爆発でしかないんだが!!
……いや、いかん。落ち着け俺、本当に。
カナデは真剣に悩んでいるのだ、嬉しさ大爆発でお祭り騒ぎのわっしょい気分は、心の中だけに留めておこう。
「カナデ、俺と君の婚儀は、まだしばらく先になる。そう言った事をするのはその後だから、まだ時間は十分あるし、今すぐどうこうというわけでもないから大丈夫だ。もちろん、俺はカナデの事でがっかりなんてしないし、上手くやろうと気を遣わなくてもいい。君が行為を拒むのなら、俺は無理に続けたりはしないと約束するよ」
「……でも、それだと、番の役目が……」
「竜王の番の一番の役目は、俺達の傍に居続けてくれる事だ。確かに行為を長くしていないと、また小さくなるかもしれんが……前回のように、君が傍に居てくれれば、被害が出る事も無いだろう。それに、俺達は自分の番が健やかに幸せでいてくれれば、それ以上の幸福は無いんだ。だから……あまり役目に捕らわれずに、いつもどおりのカナデでいてほしい」
「イグニ様……ありがとうございます」
俺の言葉を聞いて、カナデは安心したように笑った。
これで悩みも少しは解消され、元気になってくれる事だろう。
そして俺のするべき事は……婚儀の時までに、一番優しいやり方についてをロドに相談せねば。