『近寄るな、化物!!』
『今すぐ村から出ていけ!!』
『二度と戻ってくるな!!』





「……………」

 頭の中に響く怒号、それにつられるように、じわりとした痛みを体に感じ、ぼんやりと目を覚ました。
 ここは火竜宮の、俺の部屋のベッドの上だ……今のは夢だったのか。
 なんで今更、あんな夢を見たというんだろう。
 俺が最初に村を追い出された頃からは、もうずいぶんと年月が経っているし、傷だってとっくに治っているというのに。
 ゆっくりを体を起こして外を見ると、夜は明けているのになんだか薄暗い……まとまった雨を降らせている厚い雲が、ロンザバルエの空に広がっているからだろう。

「カナデ様、おはようございま……」

 いつもの調子の軽いノックの後に入ってきたアルバは、俺を見るなり絶句して、すぐに心配そうに駆け寄ってきた。

「どうされました!? どこか痛むのですか!?」
「え……?」

 
 アルバに言われて気が付いたけど、どうやら無意識のうちに泣いてしまっていたようだ。
 目元は濡れているし、頬には涙の流れた跡がある事に気付いた。

「ごめん、大丈夫……ちょっと、嫌な夢を見ただけだから」
「……カナデ様……今日は、お部屋で一日お休みになられますか?」
「ううん、体が辛いわけじゃないから。イグニ様がそろそろ食堂に来てる時間だし、急いで行かないと」
「分かりました。……ですが、無理はなさらないでくださいね」
「うん、ありがとう」

 俺が無理に笑っているのが分かったんだろう、アルバは俺を気遣ってくれる。
 今の俺は気持ちが沈んでいるだけで、病気や怪我の時のように体が辛いわけではないのだ。
 それに単純な俺の事だから、美味しい朝ご飯を食べれば、すぐ上機嫌になるかもしれない。
 そう思って急いで身支度を済ませ、いつもの様に食堂へ向かったのだが。

「イグニ様、おはようございます」
「おはよう、カナデ……」

 イグニ様は振り返って俺を見たとたん、ピシリと固まってしまった。
 しかしすぐに復活し、俺の方へと駆け寄ってくる。

「カナデ!! どうしたんだ、具合が悪いのか!? それとも誰かに何かされたのか!? 今すぐ消し炭にしてくるから、言ってくれ!!」

 どうやらイグニ様には、俺が泣いていた事が分かったらしい……もしかして、まだ目が赤かったのかな。
 俺を気にかけてくれつつも、何気に恐ろしい事を言っているイグニ様の後ろには、ロドがアルバと同じように心配そうに俺の様子を見ていた。

「えっと……誰かに、と言うわけではないんです。昔の、小さかった頃の夢を見てしまっただけですから……」
「夢を……? ……そうか……」

 俺がそう言うと、イグニ様は悲し気な表情になった。
 心配しなくても大丈夫だと言って、少しだけ気まずい雰囲気の朝食をすませ、執務室へと向かうイグニ様を見送った後に、これからどうしたものかと考える。
 今日の天気では菜園には行けないし、温泉に入ったり読書をする気分にはなれなかった。
 のんびり転がったり、新しい事を始めるというのも気がのらない……あれこれと考えた結果、行きついた先は師匠の部屋だった。

「あれ、カナデ、どうしたんだ?」

 軽くはない足取りで師匠の部屋に向かうと、いつも通りの様子と笑顔で俺を迎えてくれる。
 そんな師匠に俺は静かに近づき、きゅっとくっついた。

「なんだ? さては、怖い夢でも見たのか?」
「………………うん、当たり」
「そうか」

 師匠はそれだけ言うと、俺を優しく抱きしめて頭を撫でてくれる。
 それ以上の事は言わずに、俺を包み込むように受け入れてくれる優しさに、小さい時からずっと甘えていた。
 イグニ様からの情熱的な愛情も嬉しいものだけれど、今日みたいな気持ちの時は、師匠の安心できる愛情が欲しくなってしまう。
 ……それができる環境でいられる俺って、きっとすごく贅沢なんだろうな。

 しばらくそうしていると、雨は少しずつ弱くなっていった。
 それに合わせるかのように、俺の中にあった辛さや悲しさは少しづつ和らいでいく。
 人は抱きしめられる事で心が落ち着くと、どこかで聞いた事があるけれど、それはきっと本当なんだろうなと実感した。





「……イグニ様、何してるんですか?」
「か、カナデ!? いや、これはその、練習というか……!!」

 そろそろ昼食の時間だと言われ、食堂に向かった俺が見たものは、謎のポーズと動きをしているイグニ様だった。
 俺に見られた直後、なんだか焦りだしてしまったが……というか、練習って何の?

「いや、その……カナデを抱きしめる時に、お義父上のように優しくできれば、君ももっと安心できるんじゃないかと……だが、竜人の俺では加減が分かりにくいから、先に練習をした方がいいかと思ったんだが……」

 正直に状況を説明しつつも、明らかに恥ずかしそうにしているイグニ様が、なんだか可愛らしく思えてくる。
 こんなに恥ずかしい思いをしながらも、俺に嘘や誤魔化しはしないなんて、どれだけ真面目なんだ、この人は。

「……ふふっ」
「カナデ?」
「あ、すみません……なんというか、愛されてるなあと思って」

 そう言って笑った俺を見たイグニ様は、さっきより顔を赤くしてから、また照れたような表情になった。
 少し離れた所では、様子を見ていたアルバとロドが、「これは効果抜群だな」なんてこっそり話している。
 そして食事を運んでくれるロージェンがやってきた頃には、雨はとっくにあがって、食堂には明るい日の光が差し込んでいった。