設備は必要最低限で食事も出ないが、旅人の俺には十分な安宿。
 しばらくの間ここで世話になっていたが、そろそろ別の町へ向かって発ってもいい頃合いだ。
 ここから西に行けば、美味い酒の産地があると聞いた。南には海の観光地、北は温泉街だったか。

 どこに行こうか、と楽しく頭を悩ませていた時。
 バン、という大きな音を立てて、俺の借りている部屋のドアが無遠慮に開き、近衛クラスと思われる制服の竜人の兵士が二人入ってきた。

「火竜王様の命により、お前を連行する」

 ……いや、俺はこの都市で、何かをしでかした記憶は無いのだが? どういう事だ?
 もしかして、一般人が竜王様と目を合わせてはいけない、なんて言う決まりでもあったのか?
 そりゃ、俺は東の国ミヅキの旅装束だし、見つけやすかっただろうけど。

 いやでも、そんな決まりは聞いた事ないし、そもそも竜王様の命だからって、理由も言わないなんて一方的すぎる。
 まだ宿代を払ってないから、宿のおっちゃんには悪い事をするが、背に腹は代えられない。
 俺は隙を見て逃げ出そうと、部屋の窓に手をかけようとする……それがいけなかった。

 俺より早く動いた竜人が、俺の左腕を掴んだと同時に、嫌な音がする。
 種族の差というものは無慈悲かな、竜人は人間よりはるかに力が強い。
 ましてや連行しようとしている相手が逃亡を図ろうものなら、阻止しようとするだろう……つまり、完全に折られた。
 それでも抵抗しようとする俺の腹を、もう一人の竜人に思いっきり蹴り上げられる。

「…………かはっ……」

 以前森に出た暴れ大熊とやりあった時より、鋭く強い痛みに襲われる。
 人間相手にここまでするんじゃねーよ、と心の中で悪態をついたが、声に出す事は出来ずに気を失った。





 あれからどのくらい経ったのか、俺はぼんやりと目を覚ました。
 冷たい石と鉄の感触……どうやら牢の中で、鎖でつながれているようだ。
 竜人の兵にやられた腕と腹がまだ酷く痛むが、なにより頭が痛い。ガンガンする。
 左腕はほぼ感覚が戻らないから、なんとか右腕を動かしてみるが、壁に吊るされている手では何も掴めなかった。

 薄暗い牢の中は冷たく、とても寒い。
 元々着ていた旅装束は脱がされたのか、着心地の悪い汚い布一枚の服は、俺の体を余計に冷やした。
 収まらない頭痛のせいだろうか、それとも怪我の影響で熱を帯びた体のせいなのか、また意識が朦朧としてきた。

 ……何かの音が聞こえてくる。足音だろうか。
 乱暴に開けられた扉の向こうから現れたのは、鬼のような形相の火竜王様だった。
 俺はこのまま、彼に殺されるんだろうか。
 こちらとしては意味が分からないけれど、この状況で竜人族に逆らえるほどの気力はない。

 こんな事なら、最後にいい肉でも食っておけばよかったなぁ……。