俺には家族と言える相手が居なかった。
 形だけの親と兄は、俺を見たら不機嫌に殴りつけてくるような奴らだ。
 両親のどちらにも似てないなんていう、俺にはどうしようもできないような理由で。
 幼い頃は世話役のじっちゃんが良くしてくれたが、ある日その人もいなくなってしまい、俺は本当に一人になった。

 連中の暴力は日に日に増し、ついに家からも蹴り出され、馬小屋で寝ろと言われる。
 少しでも連中と離れられるのはいい事だったが、ここには食料も何も無い。
 馬のエサを狙って不用意に近づけば、固い蹄の一撃をくらってしまう。

 その後、連中は俺の様子を見に来る事も無かった。
 それが幸いして、俺は町中に出ることが出来た。
 やせ細った痣だらけのみすぼらしい子どもが、騎士団長の家の子だなんて、誰も思わないだろう。

 俺は路地裏のゴミ捨て場に目星をつけた。
 人目も少ないし、捨ててあるものなら泥棒にはならないと思ったからだ。
 だが、時々大人に見つかっては、ゴミを漁るなと罵られたり殴られたりする。
 それでも止めなかったのは、それ以上にひもじくて死にそうだったからだ。

 そしていつもの様に食料を探していた時、俺はあの人に出会った。
 ゴミを漁る俺に話しかけてきたのは、銀色の髪と青い瞳の、綺麗な人だった。
 でも、どうせまた怒られるんだろう、あるいは殴られるんだろう……大人はいつだってそうだったんだ。

 だけどその人は違った。
 可愛げなく返事をする俺の傷を、治癒の魔法で癒してくれる。
 自分の息子の誕生パーティーに来てほしいと銘打って、俺を風呂に入れてくれ、まともな食事も食べさせてくれた。
 だけど、信用してはいけない。大人はいつか裏切るから。

 俺があの家に通うようになったのは、背に腹は代えられなかったからだ。
 確かにあの人の言ったとおり、ゴミ捨て場のカビたパンや腐った野菜のせいで、何度も腹を壊した。
 それでも食べ続けたのは、俺には食べるものが他に無かったからだ。
 でも、あの人の家に行けば、まともな食事を分けてもらえる。
 いつまで続く気まぐれかは分からないけれど、続く限りは利用させてもらおうと思っていた。

 そうしているうちに、シャルムさん、シエル、メルと俺の距離も、少しずつ縮まっていく。
 初めの頃は、シエルはまともな親がいる幸せ者だと、何不自由なく暮らせる贅沢者だと思っていた。
 しかし、ある程度の事が理解できる年頃になった時、シエルも決して贅沢者ではないと知ったのだ。
 シエルは俺と二人きりになった時だけ、自分なんて生まれてこなければよかった、と言って泣いていた。
 自分はシャルムさんとメルの自由を、人生を奪った存在なのだと言って。
 だから、時期公爵になりたくなくても、ならなければいけない。自分は罰を受けなければいけない、と言って。
 シャルムさんはシエルの事を、本当に大事にしていた。しかし彼らの複雑な境遇は、幼いシエルを傷つけるのに十分なものだったのだ。

 俺はいつまで、自分だけが不幸だと思っているのだろう。
 いつまで、彼らと共にいられるのだろう。
 飢えも痛みも無い、優しい居心地のいい場所。いつからか、ずっとこのままでいたいと思うようになった。
 だが、シエルが学園に通う年齢になり、クズで有名な王太子と婚約したと聞いた……そいつの取り巻きは騎士団長のクソ野郎一家だという話だ。

 このままでは、ずっとシエルと一緒にいられなくなる。
 切なく苦しく、締め付けるような胸の痛みが、俺に今まで知らなかった好意の気持ちを教えた。
 俺はシエルの事が好きだ。ずっと一緒にいたい。力になりたい。誰にも渡したくない。
 自分の本当の気持ちを、俺にだけ話してくれた悲しいシエルを、俺の境遇と涙を受け入れてくれた優しいシエルを、俺は一生かけても守りたい。
 それに、このままだとクソ公爵の愛人の子が公爵家を継ぐことになる……シャルムさんとメルとも、二度と会えなくなってしまうのだ。
 無慈悲に流れる時間が、目の前に現実をぶら下げてくる。

 俺はシャルムさんに頭を下げた。
 やっと家族と呼べる人たちに出会えたのに、また何もかも奪われてしまう。
 俺の大事な場所を、大切な人たちを、あんな奴らの好き勝手にさせてやるものか。
 学費を払って学園に通う事は出来ても、シエルを守るには同じ場所に立たなければいけない。
 シエルと同じクラスに入る為に、今まで興味も無かった歴史、経済学や魔法学まで必死に頭に詰め込んだ。
 特に歴史や魔法学に関しては、メルが家庭教師代わりになってくれたから、十分な成績で編入することが出来た。

 そして学園に入る二週間前、俺は秘剣の能力に目覚める。
 自分が能力者であったことが、俺は純粋に嬉しかった。
 この力があれば、みんなを守ることが出来る。卒業した後も、シエルの傍に居る事が出来る立場にもなれる。
 編入前に能力者である事を学園側に知らせたおかげか、学園の警護騎士共も俺とシエルに多くを言ってこなかった。

 そんなある日、あのクソ王子がシエルに殴りかかったという話を聞いた。
 俺は頭に血が上り、奴を殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られる。
 だが、そんな俺を止めたのはシエルだった。実際には殴られてはいないし、大きな騒ぎになったらいけないからと、俺を落ち着かせて止めてくれたのだ。
 冷静になって考えれば、今はまだクソ王子の方が発言力が強い……下手な事をしたら今までの努力も、シャルムさんとメルにしてもらった事も、全部が無駄になる。
 だから頭を冷やし、シエルが俺を止めてくれて本当によかったと安堵したものだ。
 だからといって、シエルを殴ろうとしたことは絶対に許さん。いつか殴り返してやる。

 学園に入ってからは、あのクソ一家の家には一度も帰らなかった。
 だいたいシエルの家に行くか、学園の仮眠室で一夜を過ごし、連中とは極力関わらないようにしていたのだ。
 俺が秘剣の能力者であったことが判明し、数年ぶりに顔を合わせたクソ騎士団長は「王太子殿下に忠誠を誓い、手足となって馬車馬のように働け」と一方的に言ってきただけだった。
 もちろん俺は、それに返事などしなかった。奴の言葉を聞く義理も従う理由も、今の俺には無い。
 俺にとって親と呼べる人は、俺を見捨てなかったシャルムさんだけだ。一緒にいてくれたシエルとメル、その三人が俺の家族だ。

 そして、卒業の半年前の頃に行われた、建国パーティーの日。
 シエルの婚約破棄と味方になる者を含めた国外追放は、腐っても王族が公言した言葉だ。
 もう俺たちは我慢なんてしなくていい。シエルを連れて、シャルムさんとメルも一緒に、この腐りきった国を出ていこう。
 馬鹿王子には積年の恨みを込めて、しっかり殴り返しておいてやった。

 国を出て、これからどうなるかなんて分からない。
 だけど、たとえ何が起こっても、俺は家族を守りたい。
 惨めな生活に泣いていた幼かった頃の俺を心の奥にそっとしまいこんで、俺はシエルの手を取り歩き出した。


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