恋は盲目、なんて言葉がある。
 俺自身もその気持ちを知るまでは、そんな大げさな、と思っていたものだ。
 元々やんちゃ坊主で色気より食い気、浮ついた話などまったく無いのが俺だった。
 痴漢野郎と遭遇する事はあったが、それは色恋とは違うからノーカンだ。

 そんな俺は、所謂「チョロい」というやつだったんだろう。
 上辺だけの愛の言葉を信じ込んで、幸せになれると思い込んで、結果的に騙されて。
 俺の失態に巻き込んでしまい、人生を狂わせてしまったシエルやメルには悪い事をしたと思っている。
 それなのにシエルはいい子に育ってくれたし、メルも文句の一つも言わず傍に居てくれた。

 シエルを連れて、村に逃げようと考えた事もあった。
 しかし幼いシエルが長旅のせいで、途中で命を落としてしまったらと思うと、決行までに至れなかった。
 それにあの子の立場が公爵令息である事は、神殿の産繭の儀の際に周知されている。
 シエルを連れて逃げた事で、俺だけが罪人になるのならそれでもいい。

 しかし、その後はどうなる?
 一国の公爵令息の誘拐事件とされれば、他国に渡っても捜査の手が伸びる可能性が高いだろう。
 逃げ切れる可能性はゼロではないが、捕まる可能性もゼロではない。
 捕まった場合、俺はシエルと引き離される……俺は刑に処されるだろうが、シエルは味方が誰も居ない領地に連れ戻されてしまうだろう。

 ならば、守り人である事を公表するか?
 そうすれば、シエルに別の危険が発生する……あのエルカイムの模倣のように、自国だけでなく他国の手の者までもが、守り人であるあの子を手に入れようとしてくるだろう。
 ここは守り人の村のように、多くの精霊たちに守られているわけではないのだ。
 直接的に誘拐をするか、あるいは恋を知らないあの子に、甘い言葉を囁いて心理的に手に入れようとするか……どちらも認められるものではない。
 直接的に危害が及ぶのは論外だが、心理的ももちろん駄目だ……シエルには、俺のようになってほしくない。

 だが素性を伏せていたとしても、シエルが公爵令息である以上は、この領地はあの子が継ぐことになる。
 俺はそうでもないが、このラドキアはあの子にとっては故郷だ。思い入れもあれば、友人が出来る事もあるだろう。
 それならば、あの子ができるだけ苦労しないように、やれるだけの事はしてやりたい。
 豚野郎にいいように使われるのは癪だが、それもシエルが後を継ぐまでだ。
 あの子が成長し立派な領主になったら、俺の役目も終わりになる。
 本当なら傍で見守りたいけれど、俺の存在がシエルの邪魔になるようならば、潔くこの地を去らなければならないだろう。

 そんな複雑な心境の中、彼と出会った。
 シエルの五歳の誕生日に、食料品店に買い出しに行ってきた帰りだ。
 路地裏でごそごそと動くものが目に留まり、妙に気になって近づいてみると、それは息子と同い年くらいの少年だった。
 ゴミを漁って食べていたようで、俺に見つかると体を震わせて驚きながらも、こちらを睨むように見てくる。

「そんなものを食べると、お腹を壊すよ?」
「………………ほっとけよ」

 少年はぶっきらぼうに答えた。
 家はどこか、親はどうしたのかと聞こうと思ったが、それが悪手である可能性を悟った。
 少年は年齢の割に痩せていて、身体の所々に痣や切り傷がある。もしかしたら、家族に虐待されているのかもしれない。

「ちょっとごめんね」
「……なに……え!?」

 応急処置だが、少年に治癒の魔法をかける。
 これで痣や切り傷の痛みはなくなったはずだ……あとは、もっとちゃんとしたものを食べさせないと。

「今からうちで、俺の息子の誕生パーティーをするんだ。よかったら出席してくれるかい?」
「……むすこ?」
「そう、君と同じくらいの年の子だよ」

 少年は訝しげな表情をしながらも、黙って俺について来た。
 家に着くまでの間に名前を聞くと、少年は「ヴァニス」と名乗る……それで腐れ騎士団長の家の子か、と分かった。
 ヴァニス君は最初こそ俺たちを警戒していたが、慣れてくると可愛いものだ。
 家に帰すのには不安が残ったが、馬小屋で寝てるから大丈夫と本人は言った……いや、それは大丈夫じゃないだろう。
 泊まっていくかと尋ねたが、初めのうちは拒否されて、そのまま帰ってしまった。
 しかし、日に日に俺たちに慣れてきたのか、食事だけでなく泊まっていく日も増えていく。
 今の彼は家では完全に放置状態らしく、外に出ようが何をしようが気にも留められていないのだそうだ。

 そうしているうちに時が流れ、シエルが学園に通うようになったある日、シエルとメルの話を偶然聞いてしまう。
 メルはシエルに、本当に公爵家の跡取りになりたいかと尋ねていた。
 シエルは、本当はなりたくない、でも俺が自分の為に頑張っているのだから、ならなきゃいけない、と答えた。
 続いてメルは、本当は何がしたいのかとシエルに聞いた。
 するとシエルは、俺のように旅をしてみたい、守り人の村のおじいちゃん達にも会いたいと話した。

 俺はシエルの為にと、色々と手を尽くしてきた。
 だが、シエルは公爵家の領主になる事を望んでいなかった。
 シエルの為に、なんて……あの子の気持ちもきちんと聞かないで、シエルの未来を勝手に決めていただなんて、馬鹿げてる。
 必死に行っていた領地経営も、未来の事にあれこれと悩んでいた事も全部、俺の独りよがりだったのだ。

 自己嫌悪に陥る中、さらなる追い打ちがやってくる。
 豚野郎がシエルを馬鹿王太子の婚約者にした、それは陛下も認めた決定事項だという……俺とシエルの承諾も得ずに、だ。
 おそらく王家としては、形式上は公爵令息という身分に釣り合いの取れる肩書と、精霊たちのおかげで豊かになった領地が目当てなのだろう。
 豚野郎はシエルを使って王家との繋がりを持ち、跡継ぎはあの愛人の連れ子を当てるつもりか。

 ……馬鹿にしやがって。

 今までだって、怒ったことくらいは何度でもある。
 だが、この腸が煮えくり返るという不快そのものの怒りは、そう何度もあるものではない。
 そんな中、俺の怒りを行動に変えるきっかけをくれたのは、意外な人物だった。

 ヴァニス君が、シエルを守るために学園に通いたいから、俺に学費を出してほしいと頭を下げたのだ。
 初めはシエルの友人だった彼が、次第に特別な意味でシエルを好きになっていた事は察していた。
 だが、彼だって下手をすれば、この先どうなるか分からない境遇ではあるのだ。
 それでもヴァニス君は、シエルの為ならばと必死で勉強し、剣術の腕もさらに磨いて、並々ならぬ努力を行った。

 ……だが、このままではいけない。
 ヴァニス君が学園内でシエルのそばに居てくれても、卒業後もそうしていられる保証はない。
 シエルと王太子が結婚したら、シエルは王宮で暮らさなければならない。
 ヴァニス君がシエルの護衛騎士になれたとしても、王宮では学園と同じように守ることが出来ない立場になるのだ。
 そうなったら、多くの意味で傷つくのは二人だ。王宮に入られてしまっては、俺でも手が出せなくなる……いや、物理ではできるが、その後の二人の立場を考えるなら、却下だ。

 悩んだ末に、俺は時限爆弾を仕掛ける事にした。
 守り人の特権を使って、精霊たちに頼らせてもらうのだ。
 どう考えても短期間で更生しないだろう、豚公爵と馬鹿王太子と腐れ騎士団長に、日和見で事なかれ主義の陛下。
 そっちがその気なら、こちらも相応の方法を取らせてもらう。

 俺は精霊たちに頼み、王宮の奥の庭園に連れて来てもらった。
 王家の者のみ立ち入ることが出来るというこの場所に、前触れもなく突然俺が現れたのだから、陛下は当然驚いている。

「な、何者……いや、確か……エルメトリ公爵の……」
「俺の事を知ってましたか? 会った事なんて一、二回でしょうに」
「……な、何故ここに? 待て、君の周りに居るのは、精霊たち……? まさか」
「俺は守り人のシャルムです。精霊たちに頼んで、ここに来たんですよ」
「も、守り人!? いったい何故……」

 唖然とする陛下を見ながら、俺は余裕の笑みを作って話を続ける。

「陛下、契約をしましょう。精霊契約を」

 精霊契約は普通の契約と違って、紙や印を必要としない。
 代わりに、人間相手に決して偽らない、精霊たちに証人となってもらうのだ。
 これは物質的に何とかする事の出来る、通常の紙契約よりも確実で、何より重みが違う。
 なぜなら精霊契約が出来るのは、精霊に愛された系譜である守り人くらいだからだ。

 俺は陛下に、いずれ破られるだろう複数の条件を出した。
 複数の精霊に囲まれた状態で、人間が守り人の提案を断るという選択肢は、ほぼ皆無。
 精霊たちを盾にするのは卑怯かとも思ったが、先にやらかしてくれたのはそっちの方だしな。
 それには陛下でもさすがに焦ったのだろう、放置していた王太子に口を出すようになったみたいだ。

 だが、人はそんなにすぐには変われない。
 仮に王太子が改心できても、外部である公爵や騎士団長の不正の方は難しいだろう。
 進捗を確認するために時々陛下を驚かせに行っていたが、待ってくれとさんざん言われたから、どうやら状況は芳しくないらしい。
 上手くいけば第二のエルカイムになれるという野心、しかしほとんど上手くいかないまま契約の期日が迫るという焦りは、陛下の決断力を鈍らせることが出来たようだ。
 重要な証拠一つを名目に家宅捜索でもすれば、公爵と騎士団長の不正など叩けば叩くほど出るというのにな。

 そして、シエルが婚約破棄と国外追放を言い渡されたと言って帰ってきた時、ついに爆発したかと喜んだ。
 これで俺たちは、正式にこの国を出ていける。
 公式な追手を出す事は出来ないし、秘密裏に出した連中を返り討ちにしても、正当防衛として処理されるだろう。
 契約違反の約束である「この国とは無関係の立場」になれば、もうシエルは公爵令息ではなくなるし、ヴァニス君もシエルに付いてくれた時点で、騎士団長の息子である事を拒んだと言ったようなものだ。

 俺のしている事は、身勝手で自己満足な事だと思われても仕方ない。
 だけど、あの子たちをこの国に留まらせたって、二人が幸せになれる未来はないだろう。
 あの子たちには、俺のようにはなってほしくないんだ。もっと自由に、幸せになってほしい。
 その自由を阻む象徴のような、重苦しい公爵邸の正門……その扉をぶち破る覚悟は、もう出来ている。


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