《暗殺者視点》「紛れもない事実」以降の話です。





 俺にとっては、簡単な仕事だ。
 そうだ、そのはずだった。そのつもりだったのに。
 今となっては、何故こんな依頼を受けたのだと、過去の自分を殴りつけたい気分になっているなんて。

 それは獣王国からの依頼だった。
 竜王国ロンザバルエに現れた、火竜王の番の抹殺。
 竜王国に劣等感を持つ獣王国からは、度々この手の依頼が、俺たち暗殺者に寄せられる……しかし、依頼を受ける暗殺者はほとんどいない。
 魔動具による完璧な警備体制に加え、世界で最も屈強な竜人の相手をする事などを考えれば、リスクが高すぎるからだ。
 獣王国の連中は、自分たちこそが世界に君臨する存在だと思い込んでいる。
 我々の為に働ける事こそが最高の勲章であるだろうと言って、対価や賞与など無くて当然と考えているのだ。
 それ故に、危険に見合うほどの報酬を出す事もしないのだから、暗殺者に相手にされてないという現状もある。

 獣王は、俺を指名して依頼をした。
 生まれつき相性が悪かったとでも言うのか、俺は魔動具の影響を一切受けない体質だ。
 水竜王の番が作った警備用の魔動具にも、俺が感知されるという事はないだろう。
 獣王が火竜王の番を指定した理由は、彼が四竜宮に入って一年たったかどうかという日の浅さと、火竜王が番を待ち続けた年数の長さだ。
 待ちに待ち続け、やっと出会えた番をわずかな時間で失わせるという、究極の絶望を味合わせたいのだという。
 番の感覚が無い俺でさえ、なんとも趣味の悪い事だと思った。

 それでも俺が依頼を受けたのは、調子に乗っていたからだろう。
 魔動具の影響を受けない体質のおかげで、どんな仕事も完璧にやってこれた。
 今回は、暗殺者の誰もが拒むほどのリスクがある大仕事だ…成功すれば、俺の名にもさらに箔が付く。
 慢心に漬かり切っていた俺が、この依頼を蹴っておけばよかっただなんて、酷く後悔する事になるなど思いもよらなかったのだ。



 火竜宮に侵入するのは簡単だった。
 ロンザバルエに旅の冒険者として入国し、滞在中に火竜宮を観察し、番の部屋を特定する。
 同時に夜の火竜兵の見回りの時間とルート、警備が手薄になる時間を把握し、あとは条件が満たされた時間に入り込むだけだ。

 決行に最適なのは、空が明るみ出す前の、夜の終わりの時間。
 俺は静まった町を音もなく駆け抜け、火竜宮に入り込む事に成功した。
 この時間なら、見回りの竜兵は行った後だ。案の定、奴らが頼りにしている魔動具も、俺には反応しなかった。
 普通の暗殺者なら、この蜘蛛の巣のように張り巡らされた魔道具に感知されるから、そいつに竜人兵を呼ばれてしまえば、一巻の終わりだ。

 その後も魔動具は作動せず、見回りの火竜兵と鉢合わせる事も無く、番の部屋にたどり着いた。
 拍子抜けするほど簡単だったと、落胆しながらその部屋の扉を開けると、獲物は確かにそこに居た。
 まだ幼さを残す黒髪の少年が、無防備にすやすやと寝息を立てている。
 元冒険者の旅人だというから、起きれば抵抗してくるかもしれない。
 そもそも、依頼は抹殺だ。わざわざ手間をかけて苦しめる必要もないだろう。
 眠っているうちに、一思いに済ませてやろうと、ナイフを振り上げた瞬間。

「……!?」

 全身が凍り付くような寒気を感じた。
 火竜の兵に見つかったかと思ったが、すぐに違うと考え直した。
 火竜の威圧は、その名の通り灼熱だ。こんな氷のような冷たさではない。
 ならば水竜か……いや、こんな時間の火竜宮に、水竜など居るはずがない。
 この寒気の正体がなんなのか、どこからか来ているかも分からない……俺は言いようのない不気味さを感じた。嫌な予感がする。
 さっさと仕事を終わらせて、この場を去るべきだ、とナイフを振り下ろそうとした時。

「……っな、……」

 どろり、と熱い何かが俺の足に落ちてきた。
 俺の持っていたナイフのブレードが、見るも無残に溶けている。
 鉄を溶かすなど、やはり火竜かと思ったが、辺りを見回しても何者の気配も感じられない。

 俺の本能が、警鐘を鳴らしている。
 今すぐに、この場から離れろと。仕事がどうこうなどと、言っている場合ではないと。
 俺は明らかに、選択を間違えたのだと。この依頼は初めから、受けるべきではなかったのだと。

 溶けた鉄の乗った足が酷く痛むが、それ以上に、この得体のしれない恐怖と不快感の方が上回った。
 俺は細心の注意を払いながら、番の部屋を出て火竜宮を後にした。
 途中で火竜兵に見られた気もするが、もう俺は宮の外に出ていたから、このまま逃げ切ればなんとかなる。
 都から出てしまえば、もう追手はかからないだろうと、安易な考えでいた。

 俺はやっとの事で、都から遠く離れた森にたどり着いた。
 東の空は、いつの間にか明るくなりだしている。
 ここまで来れば、火竜でさえも追ってこないだろうと、安堵したその時……あの凍り付くような寒気が、再び俺に纏わりつく。


 終わっていなかった。追いかけてきやがった。


「……だ、誰だ!! 出て来い!!」

 焦る俺の声が、静けさに包まれた森の中で響く。
 叫んだのは、半ば意地だった。無敗の暗殺者と言われた俺が、意味も分からずに追いつめられるなど。
 この時に、プライドなど捨てて逃げ切るか、命乞いでもすれば助かったかもしれない。

 じわり、じわりと何かの気配が近づく。
 宮の中の時と違い、わざと気配を消していないことが、手に取るように分かってしまう。
 早鐘を打つ左胸とは裏腹に、頭の中は妙に落ち着いていて、どうしてか、ある仕事仲間との会話を思い出していた。



「お前も相当の凄腕だが、東の国の手練れの事は知っているか?」
「なんだそれは?」
「ミズキの国には、「シノビ」とかいう、暗躍を得意とした奴らが居るんだ。その内の一人さ」
「はっ、どうせ群れていなけりゃ、何もできないんだろう」
「いや、そいつは別格でな。奴に狙われたら最後、にじり寄るような北の国の冬の夜に似た冷たさの中、夜明けの光を拝む事も出来ずに、焼かれるように消されるらしいぜ」
「はあ? なんだそりゃ、化物かよ」
「それ以外の詳しい事は、一切分からんがな。お前もせいぜい気をつけろよ」
「ふん、そんなもん、返り討ちにしてやるさ」



 なぜ今になって、あんな些細な事を思い出したのか。俺のこの状況が、あまりに似すぎているからだとでもいうのか。
 気配は確実に一歩、一歩と近づいてくる。
 予備のナイフを手にやって、まだ十分に暗い森の奥を見据えた。
 夏も近づく季節だというのに、指先が悴んだように動かない。

「……っ、くそがっ!!」

 気配の主である黒い影が見えた瞬間、意を決して一歩踏み込んだ。
 しかし、俺のナイフが奴の心臓を貫く事はなく、黒い影に音もなく避けられたが為に、俺はそのまま地面に倒れ込んでしまった。
 すぐに体勢を変えて黒い影を睨みつけると、明けの空を背に、奴の赤い瞳が光っているのが見える。
 その刹那、突き刺すような強い光を全身に感じた。
 それが黒い影の仕業だったのか、それとも夜明けの光だったのかすら分からないままに、俺は「焼かれた」とだけ感じたのだ。










「カナデ、おはよう」
「あっ、師匠! 昨日の夜、侵入者が居たんだって! 師匠は大丈夫だった!?」
「え、そうなのか?」
「うん、何故だか魔動具が作動しなかったみたいで……今、ウォルカさんと技術者の人達が、不具合があったか確認してくれてる」
「そうかー、昨日はよく寝てたから、気付かなかったな」
「……師匠、またお腹出して寝てたんじゃないの? 風邪ひいちゃっても知らないよ?」
「あはは、言ってくれるねえ」