その日の夜は、とても明るい満月だった。
 俺は師匠に、一緒に月見風呂でもどうかと誘われたので承諾し、二人で温泉に入ってぬくぬくしているところだ。

「でも、なんで月見風呂なの?」
「最初は月見酒にするつもりだったんだが、ロージェンさんに激しく止められてな」
「ロージェンに?」
「夏の花火の時に、酒飲み対決で火竜たちを負かしたことがあっただろ? あの時、こっちが驚くくらいに心配されたから」
「師匠ならあのくらい、ぜんぜん平気なのにね」
「竜人たちからしたら、人族の俺たちの方が酒に弱いって思ってるのかもな」

 師匠は苦笑いでそう言いながら、湯船の中で手を組んで腕を前に伸ばしていた。
 今日は俺と一緒に入っている師匠だが、俺の知らないうちに気まぐれに温泉にやって来ては、のんびり湯に浸かっている日がたまにある。
 火竜宮の庭園にあるこの温泉は、一応は俺の為の施設なのだが、師匠や他の番様なら自由に入ってもらって構わない、という事にしているし、火竜たちにもそう伝えてあるから、師匠も遠慮なく使っているというわけだ。
 もちろん師匠だけでなく、温泉に入りたい気分のグラノさんやウォルカさんが時々やってくる事もある……フォトーさんだけは水が苦手なので、温泉には来た事がない。
 それに、皆さんが来るのは日のある時間だし、俺も菜園の手入れの後に入る事が多いから、今日みたいに夜に温泉に入るのは少し新鮮な感じだ。
 そんな事を思いつつぼんやりと少し遠くを見ると、お湯に映った月がゆらゆらと揺れていて、なんだか踊っているようにも見えた。

「……そういえば、ちゃんと聞いてなかったけど……師匠って、ロージェンの事をどう思ってるの?」
「おもしろい人だな」
「おもしろい……うーん、そうじゃなくて、恋人的な意味では?」
「なんだ、カナデがそんな話をするなんて珍しいな。聞いてほしいとか頼まれた?」
「あ、ううん。俺が気になっただけ。ロージェンにとっての師匠は番だって言ってたけど、師匠はどう思ってるのかなって」
「そうだなあ……俺にはもったいないかな」
「どうして?」
「そりゃあ、俺みたいな雑でズボラで可愛げのないような奴より、もっとしっかりした愛嬌のある相手の方が、あの人に似合うだろ?」
「……似合うかどうかは分かんないけど、雑でズボラは否定できない」
「なんだとー」

 余計な一言を言ったせいで、俺はくすぐりの刑に処されてしまう。
 いつもより明るい月色の夜の帳の下、俺たちは大人げなくふざけ合っていたおかげで、若干のぼせ気味になって温泉を出たのだった。




「……カナデ、温泉で何をしていたんだ?」

 湯上がりのポカポカ状態で部屋に戻ると、イグニ様がロージェンと一緒に、なんとなく気まずそうに訪ねてきた。
 というか、温泉で何をと言われても……。

「……えーと……入浴?」
「あ、いや、そうではなく……楽しそうな声が聞こえていたものだから……」
「ああ、師匠とふざけていただけですよ」
「ふざけていた? 温泉で?」
「えーと、なんて言えばいいのか……あ、じゃれあっていた、の方が近いかもです」
「じゃれあっていた? ……裸でか?」
「え? まあ、風呂は裸で入るものですし」

 俺がそこまで言うと、ロージェンの様子がおかしくなった。
 突然右手で口元を押さえ、俯き加減になって下を見ている。

「……あ……アカツキ様が……裸で……」
「……ロージェン? 大丈夫……」

 俺の言葉が終わる前に、ロージェンの鼻から赤い液体が流れ出した。
 床に垂らさないようにと、自分の服で必死に鼻血を受け止めるロージェンだが……大怪我でもしたか、あるいは返り血でも浴びたのかというレベルで、彼の服は赤く染まっていく。
 おそらくは、師匠の裸を想像したのだろうけど……男同士だというのに相手が番だと、想像で鼻血を出すほどになるもんなのか?

「……ロージェンには少し、刺激が強かったようだな」

 あれ、めずらしくイグニ様が呆れ顔になっている。
 いつもはイグニ様の方が、ロドやアルバに呆れ顔を向けられてるのにな。
 
「いや、我々も少し気になっただけだから……何事も無いのなら、それでいいんだ」
「はい、心配するような事はありませんよ」
「そうか……遅くにすまなかった。おやすみ、カナデ」
「おやすみなさい、イグニ様、ロージェン」

 イグニ様は優しい声色で、俺に微笑みながらそう言った後、扉の方へと向かっていく。
 ロージェンは鼻血のせいで上手くしゃべれないのか、俺に数回頭を下げてイグニ様と共に退室していった。
 ある意味ではロージェンも大変だなあと思いながら、体が温まっているうちにベッドへと潜り込む。
 少しぽかぽか状態の体温は眠るにはちょうどよく、俺は数十分としないうちに、夢の中へと旅立ってしまった。

 そして次の日の朝。
 昨晩はイグニ様とロージェンが、仲良く鼻血を出して一晩中大変だったと、ロドが安定の呆れ顔で教えてくれたのだった。