師匠が火竜宮にやって来た日。
 師匠のイグニ様に対する、丁寧な口調に吹き出しそうになるのを堪えつつ、大人しくフルーツケーキを食べていたのだが。
 話がひと段落したあたりで、俺が疑問に思っていた、独り身に戻ったという事情を尋ねてみる。
 すると、師匠から返ってきたのは、予想外の事実だったのだ。

 なんでも、師匠と結婚を約束したあの女性……なんと、師匠以外の男性とも結婚の約束をしていたらしく、その数まさかの十六人。
 もちろん師匠と、同じ状況の男性たちは彼女を問い詰めたが、彼女は本気で全員と結婚するつもりだったらしく、逆になんでそれがいけないのか、という、二股や結婚詐欺が可愛く見えるレベルだったそうだ。
 もともと裕福な商家の一人娘だった上に、町一番の美人だった事もあって、それでも構わないと言って婿入りする人も数人いたらしいけど……。

 結局、師匠を含む大半の男性たちとは破談となり、それぞれが別の人生を歩み直す事にしたそうだ。
 そして師匠は、色恋沙汰はしばらくごめんだと、冒険者の仕事に精を出していたところに、俺からの手紙が届いた、という状況だったらしい。

「なんと言うか……すごい人だね」
「二股三股でもどうかと思うけどさー、十六人って……さすがにドン引きと言うか、百年の恋もサラッと冷めたってわけ」
「でもそれ、しばらくバレなかったの、すごいよね」
「ああ、会う曜日と時間を決めてたらしいし、大半の相手は家に招いてたみたいだな」
「え、それって確信犯?」
「かもしれんし、それも素だったかもしれねーけど……ま、散々ではあったけど、今となっては過去の黒歴史だな」
「黒歴史ではあるんだ」

 やっぱり師匠は相変わらずだな、と思っていると、俺たちの話を不思議そうに聞いていたイグニ様に話しかけられる。

「……よく分からないのだが、何故、伴侶が十六人も必要なのだろうか?」
「この件に関しては、人族でも理解できる人は多くないと思いますよ。異性に囲まれたいっていうのは、あくまで願望みたいなもので、実際にやったら不誠実だし、いろいろ大変だって分かる事ですから」
「……ますます分からない。我々は番さえいれば、他の者に目移りなどしないからな……」

 イグニ様はさらに不思議そうに唸るが、これはやはり感覚の違い……いや、この場合はちょっと違うか?
 だって、人族の俺や師匠でもドン引き案件なんだし、今回の件はさすがに特殊すぎるだろう。
 まあそのおかげで、師匠も特に未練もなく、さっぱり冷められたのかもしれないな。

「……うん、腑には落ちないが、ともかくお義父上は、火竜宮に移住して頂ける、という事でよろしいのですね? 住居の事が決まるまでの繋ぎですが、客室を用意してありますので、しばらくはそちらをお使いください」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、しばらくお世話になります」

 そういえば火竜たちが、番の予算の金貨の山を別の場所に運んで、空き部屋を掃除していたな。
 あの予算、客室にまで溢れてたのか……。
 師匠は長旅で疲れているだろうからと、俺たちと一旦別れて、火竜の兵たちと共に客室へ向かう。
 すると入れ替わるように、ロージェンがこちらへやって来た。

「失礼致します……あの、お客様は……?」
「一先ず客室へ行ってもらった。ロージェン、お前はどうした? 様子がおかしいぞ?」
「そうですか……いえ、その……うぅ……」

 ものすごく歯切れの悪いロージェンは、困った様子で俺とイグニ様を交互に見ている。

「あの……どちらの客室に? お話したい事がありまして……」
「話? それなら俺かカナデに言えば、伝えておくぞ?」
「……あ……でも…………うぅ……」

 イグニ様の言葉に、ロージェンはさらに口籠もってしまった。
 今しがた出会ったばかりの師匠に、何の用があるんだろう?

「……イグニ様、これはもしや、ロージェンの人生を左右する問題ではないかと」

 何かを察したロドが、イグニ様に進言する。
 でも、人生を左右する、なんて言われても……。

「なんだと? ……いや、まさかロージェン……お義父上が番なのか?」
「………………はい」

 ロージェンは消えそうな声で、イグニ様の言葉に答えた。
 そうか、師匠がロージェンの番だったのか、なるほどなるほど……って、えぇえ!?

「えっと……ロージェン、それは間違いない事なの?」
「はい!! こんなにも胸が高鳴り、言いようのない愛しさを感じ、美しくも愛らしいあの方の傍に、常に居たいと思っておりますので!!」

 俺の問いに、ロージェンは食い気味に答えたが……うーん……。

「あの、ロージェンには悪いんだけど……その事はしばらく、師匠に伝えない方がいいと思うよ?」
「っ何故ですか!?」

 さっき以上に食い気味で叫ぶロージェンだが、これは完全に時期が悪いとしか言えない。

「師匠は今、いろいろあって恋愛の事を考えたくないみたいだし……それに、ロンザバルエに来て間もないのに、番の事を言われても困ると思うんだ」
「そ、それは確かに……ですが……うぅ……辛い……」
「うーん……じゃあ、料理を通して、少しずつ仲良くなるのは? 師匠は美味しいものが好きだし、ロージェンも料理なら大得意でしょ?」
「!! 分かりました!! 胃袋をつかめばこっちのもの、ラブラブ待ったなしですね!!」
「え、そこまで言ってない」

 俺のツッコミを聞く間も無く、ロージェンは嬉々として厨房へ帰っていった。
 その後、その日の夕食には、今まで以上に気合いたっぷりの素晴らしいディナー料理が並ぶ。
 そして、その料理を美味しそうに食べる師匠を、ロージェンが物陰から穴が開くほど見つめていた。