あっという間に一ヶ月が過ぎ、ついにイグニ様の休暇の週がやってきた。
とは言っても、最初の二日は俺とお茶や読書をしたり、菜園の手入れを手伝ってもらったりと、いつもやっている事や俺のしたい事に手を貸してもらっている、という感じで過ぎていった。
そして三日目の二十五日、星を見る約束の日だ。
さすがにアルバやロド、他の竜人たちをつき合わせるのは気が引けたので、夜食のサンドイッチとお茶、防寒用の毛布を先に用意してもらい、いつもどおりの時間で上がってもらった。
「そういえば、イグニ様の部屋に行くのは初めてだな」
俺がイグニ様と顔を合わせる場所は、だいたい食堂か執務室の隣の休憩室、そして俺の部屋だ。
特に俺の部屋に来る事が圧倒的に多く、アルバに伝言してもいいようなちょっとした用事の時でさえ、尻尾を振りながらいそいそとやってくる。
俺としても、それが嫌というわけではないけれど……もしも部屋に来る事を拒否したら、やっぱりイグニ様は屍のようになってしまうんだろうか。
だけど、逆に俺がイグニ様の部屋に行くという事は無かった。
距離としては執務室や食堂よりも近いんだけど……むしろ、きっかけが無かったという方が正しいかもしれない。
だいたいイグニ様の方から来てくれるし、俺から用事がある場合もその時に話していたから、わざわざ来訪する必要が無かったのだ。
初めて入るイグニ様の部屋の扉の前に立ち、軽めのノックをする。
中から聞き慣れた声の返事が聞こえたかと思ったら、すぐに扉が開かれてイグニ様が顔を出す。
「カナデ、よく来てくれた。たいした部屋ではないが、入ってくれ」
「お邪魔します」
たいした部屋じゃない、なんて言っているけど、イグニ様の部屋に置かれた家具は、どれも竜人サイズの一級品ばかりだ。
だけど、ベッドや机のような生活必需品以外は目に留まるようなものは無い。
先日イグニ様自身が言っていた言葉を裏付けるかのように、趣味の道具や好みの物がほとんど見当たらないのだ。
「カナデ、こちらにバルコニーがある。ここからなら夜空もよく見えるだろう」
案内された先には広めのバルコニー、そしてその場所にしてはなんだか不似合いな、二人掛けのソファとサイドテーブル。
もしかしたら、俺が星を見に来る事が分かっていたから、イグニ様が先に運んでくれたのかもしれない。
既に満天の星空となっている夜空を見上げつつ、二人並んでソファに座る。
冷え予防の為に毛布を膝にかけたが、イグニ様は要らないようだ。やはり火竜だから、毛布に温めてもらう必要はないのだろうか。
今日は運良く晴天、きっと流星群もよく見えるだろうけど、まだ流れている星は見当たらない。
「時間が少し早いのかもしれんな」
「先に腹ごしらえをしますか? サンドイッチを作ってもらったんです」
「ああ、そうするか。カナデはどれがいい?」
「俺、たまごのサンドイッチが好きです。イグニ様は……」
「俺はハムが好みだな」
ちょうど好みが分かれたので、それぞれ好きなものを取って食を進める。
イグニ様はフォトーさん程ではないけれど、食べるのが早い。
特に好きなものは早く食べたいタイプなのか、気が付いたら肉類が無くなっている事が多いのだ。
対して俺は、遅いという程ではないけれど、いつもイグニ様を待たせてしまっている。
「……カナデ、無理に早く食べる必要は無い」
「え、でも……いつも俺が待たせちゃってますし」
「そんな事は気にしなくていい。むしろ、君の食事中の姿を愛でれて楽しいくらいだ」
「えぇ……」
楽しいって……そういえば前にロドが、俺の食事の仕方が小動物っぽくて可愛い、なんて言ってたな。
自分ではそんなつもりは無いけど、竜人たちから見たら、俺はウサギやハムスターみたいなものなんだろうか。
どうせなら、獅子とか狼みたいなかっこいいのがよかった。
そんな複雑な思いを抱えつつ、たまごサンドを食べきってお茶を飲む。
「あっ」
「始まったようだな」
ふと上空へ目をやると、星が一つ流れたのが見えた。
同じように上を見ていたイグニ様もそれに気づき、天上ではちらほらと星が流れ出している。
無数に瞬く星空の中を、駆け抜けるように流れていく流星たちは美しく、同時に一瞬の輝きが放つ切なさも感じた。
「……そういえば、イグニ様は願い事をしますか?」
「願い事?」
「流れ星が消えてしまう前に、願い事を三回言うことが出来たら、それが叶うというおまじないがあるんですよ」
「三回……あんなに早く流れるのに、言えるものなのだろうか?」
「短い言葉ならできるかもしれませんね」
「ふむ……しかし、俺の願い事は、三回は難しそうだな」
「そうなんですか?」
「ああ。カナデとずっと一緒に居たい、カナデにいつも笑っていてほしい、カナデに不快なものを見せたくない、カナデを誰よりも愛したい、それから……」
「も、もう分かりました」
うっかり聞いてしまったが、見事に俺に関係する事ばかりだ。
もっと自分自身がしたい事とか、望む事でいいのに。
「カナデは願い事はあるのか?」
「え? そうですね、星に願う事となると……あ、野菜がちゃんと実りますように、とか。上手くできたら、イグニ様にも食べてもらいたくて……」
そこまで言って、ふと気づく。
そういえば、イグニ様が野菜を食べているところを、あまり見た事がない。
もしかして、野菜が嫌いなんだろうか?
「イグニ様は、野菜が苦手なんですか?」
「ソ、ソンナコトハナイゾ」
「苦手なんですね」
分かりやすく嘘をつくイグニ様だが……そういえば、竜人の栄養バランスってどうなってるんだろう。
人間と変わらないなら野菜は食べた方がいいけど、そうでもないなら、無理に食べる必要はない。
でもさっきの言い方と焦り気味の表情からして、本当は食べた方がいいけど避けてるって感じだな。
ちょうどよく目の前を流れる星を見つけたので、願い事をする。
「イグニ様が野菜を克服できますように、イグニ様が野菜を克服できますように、イグニ様が……あ、言えなかった」
「こらカナデ、何を願っているんだ」
「星なら叶えてくれるのではと思いまして」
「星にそこまでの力があるのか?」
「全く無いとは言えませんよ。占星術とかもあるんですし、北極星は旅人の強い味方ですし」
だからと言って、野菜嫌いを治す効果まで期待するのは、さすがに星に求めすぎだと自分でも思うが。
まあ、星に直接どうにかしてほしいというよりは、きっかけの一つになってくれればと思っただけだしな。
「そうか……なら、俺も願っておこう。カナデとキスできますように、カナデとキスできますように、カナデと……くっ、言えなかった」
「な、何を願ってるんですか!!」
「星なら叶えてくれるかもしれないんだろう?」
「そ、そうですけど……俺が星の立場だったら、完全に呆れてますよ」
「ははは」
本気なのか冗談なのか分からないイグニ様の方を見ると、楽しそうに笑う横顔、その向こうでまた星が流れていった。
これはなんだかんだで、楽しんでもらえているという事だろうか。
視線を空に戻すと、美しい星の海の中を次々と流れる流星たち。
そのうちの一つに、もう一度小さな声で願い事をする。
もし聞かれてたら恥ずかしいから、イグニ様には聞こえないように、すごく小さな声で。
「…………………ように」
「カナデ? なにか言ったか?」
「いいえ?」
お返しついでに嘘をついたが、イグニ様ほど分かりやすくはなかったはずだ。
夜がだいぶ更けてきても、少しだけ寄り添う俺たちの頭上で、星たちは変わらず静かに流れ続けていった。